さて比較的長い梅雨も有りましたこの激動の2020年、皆さまいかがおすごしでしょうか? 近頃は、外出の機会も自動的に激減し、生活が変わる一方、自分の内面を見つめ直す機会には恵まれているようです。そこで今回は、私、藤田の生い立ちとそこから最近考える社会の多様性について触れてみたいと思います。
私が、3歳の時医師の父がNewYork State Univ. Buffalo Medicine school、Asistant Prof.(ニューヨーク州立大学バッファロー校医学部助教授)として3年赴任することとなりバッファロー近郊の町Cheectowagaに過ごす事となり、
NewYork State Univ.buffalo Medicine and dentistry(ニューヨーク州立大学バッファロー校医学部歯学部校舎 2017年当時)
Cleeveland Elementary School(公立クリーブランド小学校および附属幼稚園 2017年撮影)
私は公立のCleeveland Elementary Schoolの幼稚園に通う事となりました。この公立の学校の周囲は高級住宅街で、イギリス系住民や富豪のユダヤ系が多く住居を構え、我々アジア系やラテン系(イタリア人)メキシコ系、アフリカ系は、学校近辺の文教地区から離れた高圧電線の下やCemetery(霊園)の裏に、居住区が有りました。私が住んだ家も霊園が、
裏庭から見えました。
Cheectwagaの4列もある高圧電線(2017年撮影)
住んでいた家の裏の霊園(2017年撮影)
住んでいた家(2117年撮影、家は当時のままです。)
そして幼心にアメリカに根差すRacialdiscrimination(人種差別)に意識を傾けるきっかけになったのは、母とよく一緒に行ったイタリア系のハム屋さんの主人が
僕ら有色系の子供には必ずハムを一枚恵む方だったのですが、白人系(イギリス系ユダヤ系)の子供には恵んであげない事から薄々肌の色というものに少々意識がいくようになりました。
しかし幼稚園では、その白人も有色人種も分け隔てなく平等に教育を受けられました。異なる宗教、異なる人種、異なる生活習慣その多様性の理解に大きく重点が置かれます。当然、先生は、一人一人の意見や考えを広く聞き皆で椅子を円状に並べディスカッションすることが多かったです。
小学1年まで私の担任はドイツ系アメリカ人のMrs.Shulzという方でした。私はこのShulz先生が大好きでした。物事の考え方に多様性がある事をとても良く教えてもらったからです。父が3年の赴任を終えて日本に帰ってきて私に待っていたのが地獄の小学校生活でした。一方的な授業、全部前を向いた机、椅子をとても不自然に感じ、画一的な考えに誰も意見を言わない。それは私にとってとても苦しいものでした。さらにそれを正直に同級生や担任の先生にそれを意見し言ってみたら変人扱いされ、いじめの標的に。
そして日本の教育に馴染めないまま進学して大学生そして、幸いな事に大学院に進んで初めて自分の考えで物事を進める研究、海外の英語論文を好きなだけ読める機会もあり、永きに失った私が憧れた本来の学習に辿りついたわけです。
そして今、こうしたコロナの影響があっても多くの外国人が居住するようになり人の考え方も拡大していく中で、多様性に対する理解が重要と考えます。ようやく我が国でも芽生え始めた多様性を理解する風潮を是非歓迎し、今後も物事を一元的に捉えない努力を使用と思っております。